Friday, December 31, 2010

New Year's Eve Tradition - 大晦日


長崎は今日は雪。雪が降ることは聞いていたけれど、こんなに降るとはびっくりです。でも一年の終わりにふさわしいような静寂につつまれている感じです。

さて、今日はNew Year's Eveに関するトリビアをcelebration.comより拾ってみました。

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Q: The New Year has not always been celebrated on January 1. When did the original celebration take place?
 新年は1月1日だったとは限らない。最初の新年のお祝いはいつ?

A: Starting around the year 2000 B.C., the Babylonians observed the beginning of spring as the start of a new year.
 紀元前2000年頃にバビロニア人が春の始めを新しい年の初めとして祝ったのが最初。


Q: Who established January 1 as the start of a New Year?
 誰が新年の始まりを1月1日にしたの?

A: Julius Caesar, who did so when he created the Julian calendar
 ジュリアス・シーザーがユリウス暦をつくったときに。

Q: What does the traditional New Year's song, Auld Lang Syne, mean?
 新年の(注:日本では大晦日)歌Auld Lang Syne「蛍の光」)はどんな意味がある  の?

A: Auld Lang Syne, written by Robert Burns in the 1700s, is Scottish for "old long ago."
 1700年代にRobert Burnsが書いたAuld Lang Syneスコットランド語で"old long     ago"(旧き良き時代)。

Q: Who established the tradition of setting New Year's resolutions?
 新年の抱負の習慣を始めたのは誰?
 A: The Babylonians, whose most common resolution was to return borrowed farm equipment.
 バビロニア人で、一番ポピュラーな抱負は借りた農機具を返す事だった。

Q: What is the most popular New Year's resolution in the United States today?
 現在アメリカで一番ポピュラーな抱負は?

A: To lose weight
 体重を減らすこと。

Q: Which city hosts the first major New Year's Eve celebration each year?
 毎年どの町が最初に大きなNew Year's Eveのお祝いをやるの?

A: Sydney, Australia
 オーストラリアのシドニー。

Q: What year did the first New Year's Eve ball drop in Times Square?
 (ニューヨークの)タイムズスクエアの大晦日のボール(球)が始まったのは何年?

A: 1907
 1907年

Q: Since its inaugural descent in 1907, the New Year's Eve Ball has dropped every year except two. Which two years did the ball not drop?
 1907年に初めて球が落とされてから、2年だけ球がなかったときがあるけれど、それ はいつ?
A: 1942 and 1943, due to wartime restrictions in New York City
  戦争の時のニューヨーク市の規制で、1942年と1943年にはなかった。  

                    New Year's Eve Ball 2008


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この一年忙しかったですが本当にいろいろ楽しかったです。


みなさまの2011年が実り多い年でありますように ♥



Friday, December 24, 2010

Merry Christmas ★メリークリスマス



これはCamelopardaris IC 342と呼ばれるきりん座(北極星のすぐ隣にある地味な星座)にある中くらいの渦巻き状の銀河系外星雲です。天の川の赤道部分に位置しているため微光星やダストが多くアマプロを問わず観察が難しいと言われています。でも、このNASAの写真はとてもきれいで、やはり人工のイルミネーションより私は大好きです。肉眼で見られないのが残念ですが・・・
今日はクリスマスイブ。この神秘的な何億年も前の宇宙の光をあなたに届けます♥


Thursday, December 23, 2010

Flash mob - フラッシュモブ





この季節になるとみんな集まって何かやりたくなりますよね。上のふたつのビデオはflash mobと呼ばれるもので、不特定多数の人が突然集まり、目的を果たし、解散して行くという、この数年いろんなところで見られる現象です。

wikiによると、

flash mob (or flashmob) is a large group of people who assemble suddenly in a public place, perform an unusual act for a brief time, then disperse. The term flash mob is generally applied only to gatherings organized via telecommunications, social media, or viral emails. The term is generally not applied to events organized by public relations firms, protests, and publicity stunts.

フラッシュモブとは大勢の人が公共の場に集まり、短時間で変わった(通常でない)ものを演じ解散するというものである。flash mobという言葉は普通テレコミュニケーション、ソーシャル・メディア、メールなどを介して組織された集まりに対してのみ適用されるものである。PR会社や、デモ、スタントなどによって組織されたものには通常使われない。

とあり、悪意を持ったものや政治的な行動などに使われる言葉ではないようです。youtubeには本当にいろんなflashmobがあるので興味がある人はのぞいてみてくださいね。

このflash mobの映像を見ていて思い出したのですが、アメリカの会社で働いていた時に、もうすぐ結婚する予定の人にプレゼントをしようということになって、スタッフみんなでお金を出し合い、"Sending Telegram"というのをやったことを思い出しました。これは、例えば職場とか、レストランで食事をしている時とかに、突然誰かが来て、そのバースデイや贈り物をしたい友人の前でパフォーマンスをやるというものです。うちの会社は医療機器を取り扱っていたので、チャーミングな看護師の格好をした人が内視鏡を持ってきてその彼のところに行って、突然白衣を脱いで踊り歌うというもので、事務所中大変盛り上がりました。
サプライズパーティもそうですが、あっと驚かせてみんなで楽しい思いをするのが大好きなアメリカらしいなあと思ったものでした。

今やこのflash mob現象は世界中にひろまり、みんないろんなことをして楽しんでいるようです。Why don't you plan one in your neighborhood?

Monday, December 20, 2010

Estaminet Year End Party -忘年会





先週は通常の授業に加えて、エスタミネーのスタッフ健康診断、教室の大掃除、そして忘年会と大変盛りだくさんの一週間でした。

ついこの前、9月に事務所を引っ越して大分物を処分したのですが、まだまだ捨てるものがあってびっくり。エアコンのフィルターも窓もスティーマーを使ってピカピカにしました。

上の写真は忘年会の一コマ。みんなよく食べ、よく飲み、よく笑いました。久しぶりにおなかがよじれるほど笑いました。ShannonとNamiのPrefecture GameとGuess who I am?はみんなノリノリで、意外な一面も見せてくれて多いに盛り上がりました。

車の中にカメラを忘れたので、携帯で撮ったので写りがイマイチですが、Sorry!
GoldfishはLucとMiwako teamのPrefecture Gameの戦利品です!(激しい戦いで、Benは結構日本の地理に明るい、Troyはおもしろくさせようとしなくても地ですでにオモシロい、NamiとBenはチームだったということに後で気づいた(Were they helping each other?)、新人のYukariが大健闘!結構度胸、知識があり、likes drinking very muchなことが判明)
またShannonに企画してもらったらおもしろい会ができそうです。

みなさんの年末も楽しく盛り上がってくださいね!

Monday, December 13, 2010

Prince William and Kate♥ ウイリアム王子とケイト (2)


4月29日に結婚が決まったPrince WilliamとKateさんのオフィシャルエンゲイジメントフォトが公開されました。本当にラブラブな感じですね。まわりのオトナたちが決めた伴侶ではなく、時間をかけて愛を実らせたお二人。Kateさんにとっては大変なロイヤルライフだとは思いますが、Prince Williamが絶対何があっても彼女をサポートしてくれるでしょう。イギリスthe Sun紙からの抜粋です。

DRESSED casually and posing in a relaxed embrace, Prince William and Kate Middleton exhibit the love of a young couple about to marry.


カジュアルな格好でリラックスして愛しい感じで抱きしめているPrince WilliamとKate Middletonさんは、もうすぐ結婚する若いカップルの愛情でいっぱいです。

This informal snap, with Wills wearing a jumper rather than a suit and enveloping his future bride in a cosy cuddle, is a real departure from some of the stuffy pictures of the past.

このカジュアルなスナップは、スーツではなくジャンパーを着たWillsが自分の将来の花嫁を心地良さそうに愛情を込めて包んでおり、過去の古くさい写真からの真の離脱だといえます。
To mark their engagement, the future king and Kate - or Catherine as we should call her now - released two official pictures by Princess Diana's favourite photographer Mario Testino.
お二人の婚約の記念に将来の王とKate、もうCatherineと呼ぶべきですが、はダイアナ妃の大好きだったフォトグラファーMario Testinoが撮った2枚のオフィシャルな写真を公表しました。



クリスマスリースの歴史 −Christmas Wreath



日本にはクリスマスっていつ頃伝わったのでしょうか?日本クリスマス博物館というサイトでは(http://www.christmasmuseum.jp/ChristmasHistoryJapan.html )と他のサイトから以下の情報がありました。

1549年   イエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本に上陸した時にクリスマスを祝っ      たと思われる。
1552年   記録に残る初のクリスマスミサが周防国山口で宣教師コメス・デ・トルレスと      日本人信徒によって祝われる。
1568年   イエズス会士ルイス・フロイスによる「クリスマス休戦」(織田信長、松永久      秀)の記録
1587年   バテレン追放令
1612年   キリスト教禁止令
*鎖国中も長崎の浦上などで隠れキリシタンによるクリスマス・ミサに相当す       る「御メーサン」が行われる。
*長崎の出島でもオランダ人によるクリスマス・ミサに相当する「オランダ正       月」を祝った記録あり

およそ460年前とかなり古くに伝わっているんですね。もちろん長いことキリスト教など一部の人たちだけしか知らないものだったとは思います。異国情緒豊かなここ長崎でも古くから祝われていたようですね。


今日はいろいろあるクリスマスにまつわるものの中からクリスマスリースの歴史を調べてみました。Christmas World というサイトには次のように書いてあります。(http://www.worldofchristmas.net/christmas-wreath/history.html


Christmas Wreath History

The origin of the Christmas wreath dates back to the ancient cultures of the Persian Empire. During that time, wreaths were believed to be a symbol of importance as well as success. They were much smaller in size than the present ones and were known as 'diadems'. People used to wear the wreaths as headbands, sometimes along with jewels also. Somewhere around the 776 BC, Greeks started placing wreaths, made of laurel, on the head of the athletes who came first in the Olympic Games.

クリスマスリースの起源は古代ペルシャ王国にまでさかのぼります。当時リースは成功と同じように大事なシンボルでした。現在のものよりサイズはずっと小さく"diadems"として知られていました。人々は頭にリースを飾りました。時には宝石をつけて。紀元前776年頃ギリシャ人がオリンピックで一番になったアスリートの頭に月桂樹の葉でできたリースを飾るようになりました。

Even in ancient Rome, the chief of leaders, like Julius Caesar, used to wear wreath on his head, just like the crown of a king. The transition of the wreaths from a headgear to a wall/door decoration is not known with much accuracy. However, it is believed that once an athlete decided to save the headgear as a souvenir of his/her victory. From then onwards, started the tradition of using wreaths as a Christmas door/wall decoration.

古代ローマでもジュリアス・シーザーのような首領は王様の王冠のように頭にリースをつけました。リースが頭に乗せるものから壁の飾りになったいきさつは正確にはわかっていません。しかしかつてアスリートが自分の勝利の記念に頭に乗せたリースを取っておこうとしたと信じられています。それからリースをクリスマスのドアの飾りに使われるようになったようです。


















Sunday, December 12, 2010

Steve Jobs Stanford Commencement Speech 2005 ー将来を迷う君へ

高校生だけではなく、院試対策の方たちも含め受験勉強の佳境に入った12月、特に今週は超多忙で、なかなかブログを書くことができませんでした。

ある大学生のクラスでやったこのスピーチ。いつ聞いてもすばらしいです。

Apple, Pixer, NeXT のCEOであるSteve Jobsの2005年アメリカStanford大学の卒業生へのスピーチです。



受験生を受け持つ私は、毎年この季節志望校を絞るのに悩む生徒を多くみかけます。同級生で推薦試験を受けた者が次々と合格を決め出す今の時期、受験生の心の中は揺れています。ある者は自分の行きたい分野は決まっているが、大学を選べない。ある者は大学も学部も決めたが、親がそれを望まない。行きたいところは別にあるが、経済的に地元か九州内の国公立しか行けない、行きたいところはあるが、今頃になって自分の不勉強を悔やむ者などなど。Steve Jobsのメッセージのなかで、迷ったあなたにぴったりの部分を抜き出してみました。

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..... Sometimes life's going to hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love, and that is as true for work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work, and the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking, and don't settle. 


ときに人生において頭をレンガで打たれるようなときがある。でも信念を忘れないで。(自分が創立し、総売上20億ドル、従業員4000人の会社を首になった後)それでもわたしを突き動かしたのは自分がやってたことが好きだったからだと確信している。自分が大好きなことを見つけなければいけない。それは恋人と同じように仕事にも当てはまる。仕事はあなたの人生の大きな部分を占めるからだ。真の意味で満たされる唯一の方法は、自分がすばらしいと思う仕事をすることだ。そしてすばらしい仕事をする唯一の方法は自分のやっていることを大好きになることだ。まだそれを見つけていないなら、探し続けなさい。あきらめないで。


... Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma, which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice, heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

人生の時間は限られている。だから誰か他の人の人生を歩むことで無駄にしないでほしい。ドグマのわなにはまらないでほしい。それは他人の考えに基づいて生きる事だ。他人の意見のせいで自分の内なる声や心、直感をおぼれさせないでほしい。それは(自分の内なる声や心、直感は)あなたが真にどうなりたいかをすでになんらかの方法で知っているんだ。ほかの事はみな二の次だ。

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私自身は本当に高校時代はぼんやりしていて、進学校には行ったものの一生懸命勉強する人たちのことはよそ目に見ていて、自分は好き勝手な事ばかりしていました。当校に来る生徒さんは私の高校時代に比べられないくらい熱心です。今この時期に限らず人生には迷う事がたくさんあります。そういうときは、このSteve Jobsのスピーチを思い出し、find what you love.  Don't let the noise of others' opinions drown out your inner voice, heart and intuition♥

Monday, December 6, 2010

Larry King to Piers Morgan - CNNの新しい顔

  
                                                                          Zenzero's Flamiche

師走というくらいだから私も走っています(少なくとも頭の中は)。本当に1年という月日はあっという間に過ぎていきますね。

去年あのSusan Boyle さんの素晴らしい歌声をイギリスのBritain's Got Talent という番組で聴いたときに (→ http://www.youtube.com/watch?v=RxPZh4AnWyk  )そのジャッジのひとりPiers Moganという人を初めて知りました。そのときはAmerican Idolの辛口ジャッジのSimon Cowelしか知らなかったのですが、その後Susan Boyleさんが世界にセンセーショナルに紹介されPiers Morganの彼女に対する意見もときどき報道され、彼のことを少しずつ知るようになりました。しかし今回CNNの長年の看板番組でもあり、私もよく見ていた時の顔の人とのトーク番組Larry King Liveの後を受けて彼の番組がスタートすることになると聞いたときはびっくり。急に彼ってどんな人物?と興味がわきました。CNNでは次のように言っています。

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Morgan's show, which was not named in the CNN news release, will air live on CNN-US at 9 p.m. ET and will air worldwide on CNN-International in more than 200 countries, the network said. Morgan will be based in New York, but also will work from Los Angeles and London, CNN said.

CNNの報道ではまだ番組の名前が決まっていないが、MorganのショーはCNN-USの東海岸タイムゾーンでは午後9時に放映される予定で、CNN-Internationalでは200カ国以上に放映される予定である。Morganはニューヨークにベースを置くが、LAやロンドンからも放映するということだ。
King announced this summer that he was stepping aside from CNN's "Larry King Live," a show he began hosting in 1985.

Larry Kingは1985年にホストを始めた"Larry King Live"を降板することを今年の夏明らかにした。("step aside"で "step down"ではないので厳密にはメインではなくなるが、まだ番組には何らかの形で関わる事があることを示唆しています)
"I have watched 'Larry King Live' for much of the last 25 years, and dreamed of one day filling the legendary suspenders of the man I consider to be the greatest TV interviewer of them all," Morgan said.

「私はLarry King Liveを25年間見ていて、TVの最もすばらしいインタビュアーだと私が思うあの伝説的なサスペンダーをいつの日か自分が身につける事を夢見ていました。」(サスペンダーはLarryKingのトレードマーク)とMorganは言っている。
Morgan, 45, began his journalism career as a newspaper reporter in the United Kingdom for The Wimbledon News. In 1994, when he was 28, Morgan became the youngest editor ever at Rupert Murdoch's News of the World. He moved to the Daily Mirror as editor-in-chief in 1995, a post he held for nine years.

45歳のMorganはイギリスのThe Wimbledon Newsで新聞記者としてジャーナリズムのキャリアをスタート。1994年、28歳の時にRubert MurdockのNews of the Worldで一番若い編集者になった。その後9年間務めることになるDaily Mirror紙に1995年に移り編集長になった。

He left the Mirror under a cloud of controversy in 2004, after the publication of photos purported to be of abused Iraqi prisoners. The newspaper later acknowledged the images were faked, saying it was the victim of a hoax.

2004年虐待されたイラクの刑務所の囚人だといわれる写真の出版をめぐっての論争でMirror紙を辞めた。紙は後にその写真は偽造だと認め、かつがれたと言っている。
Morgan went on to become a television personality, hosting interview programs on the BBC and ITV. Simon Cowell hired Morgan as on a judge on the top-rated "Britain's Got Talent."

その後Morganはテレビのパーソナリティになり、BBC とITVでインタビュアー番組の司会をした。Simon Cowellが視聴率最高の"Britain's Got Talent" の審査員に抜擢した。
His print journalism career continued beyond the Mirror, including a monthly interview column for GQ magazine.

Mirror紙以降も、GQ紙の毎月のインタビュアーコラムを含め彼の紙面におけるジャーナリズムキャリアは続いた。
Morgan also writes two regular columns for the Mail on Sunday newspaper, which he will continue. 

Morganはthe Mail紙の日曜版に2つのコラムを持っており、それは継続する。

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ということで、紙のメディアもテレビも多くの経験があるようです。同じCNNのThe Situation Room 担当のWolf Blitzer が WiliLeaks 創設者のJulian Assange についてどう思うかたずねたところ、Piersは "He is a freedom fighter and at the same time a terrorist in the cyberspace."と言ったところは私もぴったり同感でした。ただ、イギリスとアメリカのジョークのポイントがずれなきゃいいんですが、Piers Morganさん1月より期待してます!




                                  

Sunday, December 5, 2010

Qatar & Russia made it! 次回はロシアとカタールに決定




Doha, Quatar

いや〜ワールドカップ2018と2022はロシアとカタールに決まりましたね。いろんなサイトで、「超以外だ」のコメントが書かれています。ひとつの国で11の時差がある超大国のロシアと、超小国のカタール。カタールのことはあまり知りませんが、サイズ的には秋田県より少し小さいくらい。日本のサッカーファンには「ドーハの悲劇」として印象に残っているでしょう。wikiによると現在は石油と天然ガスに依存する経済体制で、GDPパーキャピタは世界最高レベルで所得税がなく、外国人労働者の数がカタール国籍を持つ人より多いそうです。

不満だらけの西側のスポーツ報道機関のひとつESPNのサイトによると以下のように書いてあります。


How else to explain future debutants Russia and Qatar being picked as respective World Cup hosts in 2018 and 2022, upsetting the likes of England, the U.S. and a joint bid from Spain and Portugal? When Qatar's bid team said on the eve of the vote that FIFA had a "fantastic opportunity to expand the frontiers of the World Cup," soccer's most powerful men obviously agreed.


イギリスやアメリカ、共同開催のスペインやポルトガルの気分を害して2018, 2022年のワールドカップにそれぞれ選ばれたロシアとカタールを他にどのように説明できるというのだろうか?FIFAは「ワールドカップのフロンティアを広げる素晴らしいチャンスがある」と開催地発表の前夜カタールのプレゼンチームが言ったとき、サーカー界の最も影響力のある人たちは明らかに同意した。
This comes on the trail of South Africa's successful staging of the World Cup. More than a few eyebrows were raised when the African nation was awarded the tournament, a first for the continent. And despite early concerns that South Africa would not be ready in time for the tournament, it handled the event with aplomb. Crime was controlled, and FIFA president Sepp Blatter told reporters that South Africa was a "good financial decision," when some had initially forecast a loss. The sport was brought to townships that had never seen a game on television before.


これは南アフリカのワールドカップの素晴らしい業績から来ている。アフリカ大陸初となる大会の開催に眉をひそめた人もいた。しかし南アフリカは大会の準備も間に合わないだろうという当初の懸念にもかかわらず、冷静に事を運んだ。犯罪もなく、数人が当初損失があるだろうと予想したとき南アフリカは「経済的に良い決断」だとFIFA代表のセップ・ブラッターは言った。テレビでサッカーの試合を見た事がない非白人居住区でもサッカーは行われた。
Russia does indeed possess a massive economy, but FIFA lamented its vast size and poor transportation links in an evaluation report last month. Parts of Russia are downright desolate, as its own team acknowledged. FIFA, then, must have seen an opportunity to bring its traveling circus to town in the hopes of fixing that.


ロシアには大きな経済力はあるが、FIFAは先月の評価レポートではその国土の広さと交通機関の不整備を挙げていた。チーム自身が認めるようにロシアには辺境地帯がある。FIFAはそこのところを変える望みをもってその移動サーカスを連れて来る好機を見たのだろう。
Qatar will go down as likely the smallest nation ever to host the tournament. Its population is roughly 1.4 million, around the size of Connecticut. Unless it bought a neighbor -- is that out of the question? -- things are set to get pretty claustrophobic in 2022.

カタールもワールドカップの開催国史上一番の小国である。人口はおよそ140万人、サイズはコネチカット州ぐらいである。隣国の助けなしには ー論外か?ー 2022年には狭くって息苦しくなるだろう。
What about the summer heat, you ask? FIFA overlooked the scorching temperatures in June and July, clearly wanting to bring the World Cup to the Middle East, a region troubled for so long.

夏の酷暑はどうなんだ、とお尋ねになるかもしれない。FIFAは、6月と7月の猛暑を考慮せず、明らかに長く問題がある地域である中東にワールドカップを持って行きたかったようだ。

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しかし、最近BBCやCNNのコマーシャルは中東の大企業のものが多く、確かに大きなお金が動いていて今まで西洋支配だった金融やその他の業界に中東が台頭して来ているという感は免れません。
私としてはどこの国で開催されてもいいんですが、次のワールドカップのテレビ観戦を楽しみにしています。

Thursday, December 2, 2010

2022 Bidders' Presentations サッカーW杯:開催地プレゼン及び発表 


この数ヶ月CNNのコマーシャルに"World Cup Soccer Korea"というのがしょっちゅう放映されていて、てっきり知らないうちに開催地は韓国に決まったのかと思っていました。数週間前に一緒にそれを見ていたLucが "Korea wants it so bad."(韓国は相当開催地になりたいんだね)と言って初めて「な〜んだ。やっぱりまだ決まってなかったんだ。でも韓国は今回はすごくアグレッシブだね。」と思ったことでした。FIFAによると以下のような情報が書いてありました。


The decision on the hosting of the 2018 and 2022 FIFA World Cup™ tournaments will be revealed in Zurich on Thursday 2 December. You can follow all the candidates’ presentations and the announcement of the winners, LIVE here on FIFA.com.

12月2日(木)にチューリッヒで2018年と2022年のFIFAワールドカップの開催地が決定されます。候補地のプレゼンと開催地の発表はFIFA.comでご覧になれます。


A host of VIPs and renowned personalities from the worlds of sport and politics will be present in Zurich, supporting their home nations’ bids. The world’s media will also turn out in force, with some 1,000 journalists accredited to cover the event, and nearly 70 TV stations broadcasting live from Zurich.

チューリッヒには世界のスポーツ界や政界からの著名人が来てそれぞれの国をサポートします。1000のジャーナリストが集まり、ライブで70のテレビ局が放映します。

The final presentations by the nine candidates begin on Wednesday at the Home of FIFA in Zurich. 

開催候補地9つの最後のプレゼンがチューリッヒのFIFA本拠地で水曜日に始まります。


Final presentations: running order
最終プレゼン順番

Wednesday, 1 December 2010
12月1日(水)

14:00         Australia (オーストラリア)
15:00         
Korea Republic (韓国)
16:00         
Qatar (カタール)
17:00         
USA  (アメリカ)
18:00         
Japan (日本)

Thursday, 2 December 2010
12月2日(木)

09:00         Belgium/Netherlands (ベルギー/オランダ)
10:00         
Spain/Portugal (スペイン/ポルトガル)
11:00         
England (イギリス)
12:00         
Russia (ロシア)

今年の南アフリカ大会も盛り上がりました。どこになってもいいけどサッカー観戦楽しみです!
Wherever (Whoever?) the host will be, I am very much looking forward to the next World Cup Soccer!

Wednesday, December 1, 2010

540 N. Genesee


この写真は1979年のロスアンジェルス。私が初めてLAに行ったときに住んでいた建物です。アメリカ人と結婚した姉のところに居候させてもらいました。Dennisのヴォルクスワーゲンはあまり変わっていないけど、車を見ると30年前を感じさせますね。あの当時はアメリカの車はひどく大きく感じました。車のみならず、アイスクリームも、パンも通りも人もなんでもかんでも大きく感じて友達への手紙に"Everything is big in America, even cats."と書いた記憶があります。

Los Angeles, 1979.  This is the very first building I lived when I went to Los Angeles for the first time.  Actually this was my sister's apartment where she kindly let me stay.  Although the Volkswagen has not changed the signature style much, other cars on the photo do remind me of the fact that over thirty years has passed since then.  Just having come from Japan, those American cars appeared really big.  As a matter of fact, everything from ice cream to streets, to ovens, to the salad for one person, to many other things, seemed much bigger.  I remember writing to one of my friends like "Everything is big in America, even cats."

ひょんなことからこの写真が出て来て、当時の記憶がよみがえってきました。この通りはLAのFairfaxとMelroseの近くで、Fairfax High Schoolのグランドの前でした。Google Earthで検索してみると、今もこの建物は同じ場所に建っています。ただ、建物の前にある4本の木はなくなっていました。この通りを1ブロック北に行くとMelroseという通りで、現在はファッショナブルなお店やカフェがたくさん軒を並べLAのひとつの文化を作っていますが、当時はまだ閑散としていて、Melrose とGeneseeの角にはクリーニング屋さんがあって、クリーニングは一度も持っていかなかったけれどそこのおじいさんはとても私に優しくしてくれました。

Unexpectedly I found this old photo and many things, such as smells of Canters Cafe, the falafel shop on Fairfax, old people on the bus, big navy blue mailboxes on the street corners, etc, etc. came back to my mind.   540 N. Genesee is near Fairfax and Melrose, just along the Fairfax High School fields.  I was very curious and couldn't help but view in Google Earth to see if the building was still standing there.  Yes, there was, but without those four trees in front of the building.  If you go north one block, you'll find Melrose Avenue where  there are many fashionable boutiques and cafes.  Back then, there were not so many shops on the street nor was it so much of a high-end paradise.  A cleaner was at the corner of Melrose and Genesee and there was an old man there.  I don't remember bringing any clothes to get cleaned, but he was always very kind to me telling me about the neighborhood.

Melroseに当時あったお店で覚えているのは、Aardvarkという古着屋。なにせお金がない貧乏学生の私です。1ドルや2ドルの古着は大変助かりました。安っぽいキモノのセクションもあって1着5ドルくらいで売っていたので、数着買って寝間着代わりにしてました。そこにはビンテージものの洋服や、US Armyや郵便局の払い下げのユニフォームなどもありました。郵便局のカーディガンがとってもあったかかったのでよく着ていました。それからChianti Cucinaというイタリアンレストランもありましたね。白と黒ベースのインテリアでときどき行ってました。今もまだあるかなぁ?

One of the shops on Melrose that I used to go to was Aardvark, a used clothes shop. One or two dollars a shirt was very appealing to me.  There was one corner of the shop, about one or two meter wide space, to sell old cheap kimonos.  I bought a few and wore them as my pajama.  That's right! There was an Italian restaurant called Chianti Cucina as well.  I wonder if that's still there.

それから程なくMelroseが原宿のように若者のブティックやカフェ、ギャラリーが立ち並ぶ通りになりましたが、その頃は私はHollywood, Palms, West Los Angelesとアパートを次々と変わり、だんだんとLAのおしゃれサイドからは遠のき、毎週末をVenice Beachでボディサーフィング、あるいはValenciaで乗馬、またはSanta Monica Mountains(特にSycamore Canyon)でハイキングして過ごすようになりました。

It didn't take Melrose long to become what it is now.   Meanwhile, I moved away from those stylish scenes of Melrose to Hollywood, being stabbed, moved to West LA, having some trouble with roommates, and moved again to a cheap apartment in Palms.  I went to Venice beach almost every weekend bodysurfing, to Valencia horseback riding, to Santa Monica Mountains (especially to Sycamore Canyon) hiking.

To be continued...

「紅葉」って英語で何と言うの? How do you say...?



去年の今日は京都で紅葉を満喫していました。「京都に紅葉を見に行く」とは小さい頃からいろんな人から聞いてはいました。しかし友人から誘われた時も、紅葉を見に行くというより、友人たちと楽しい時間が過ごせるということの方が、待ち遠しかった私です。京都通の友人の紅葉を語る口ぶりが「大げさだヨ」とも思っていたくらい。ところが、行ってみてびっくり。タイミングも良かったんですが、さすがは京です。あんなに紅葉を見て感動したのは初めてでした。あれ以来長崎の紅葉のどれを見ても、あの圧倒されるような、燃えている葉とは比べられず淋しい思いをしています。誘ってくれた友には一生の感謝です。

会話のクラスでよくレッスンの最初に聞くのは、"What's new?"という問いです。この季節は紅葉の話しがよく出ますが、みなさん頭を抱えるのが、「紅葉って英語で何と言うんだろう」ということです。

Weblioを見てみると次のような訳が出ていました。


こうよう 紅葉

〉 red [yellowleaves (of autumn); 【形式語】 tinted autumnal leaves;
〉 【形式語】 autumnal tints [colors] (of yellow and gold)
用例
山々燃えるよう紅葉していた. 【形式語】 The hills were ablaze [aflame] with autumn tints.

もみじ 紅葉

【植物, 植物学】 〈カエデ〉 a (Japanesemaple;
づいた木の葉〉 red [scarlettingedleaves;
秋色〉 【形式語】 autumnal tints [colors].
用例
私たち日光もみじ狩りってきました. We have been to Nikko to view the scarlet maple leaves there.
いろいろな言い方がありますね。日本語のように「紅葉」=XXXという対訳があるわけではないので、いろいろな言い方を試してみてください。対訳がないときはいつでも、それを説明するような言い方にすればいいですね。