Monday, January 31, 2011
Rita Flora LAのお花屋さん
おとといはLAに住んでいる姉の誕生日でした。毎年姉の家の近くのお花屋さんにお花のアレンジメントを頼んで配達してもらっています。
そのお花屋さんの名前はRITA FLORAといってLAのLa Breaと6thのあたりだったと思います。いつも誰かスタッフの人が電話に出るんですが、今回は夜少し遅かったのでまだ開いているか心配だったのですが、大丈夫でした。電話に出た人がそのお店のオーナーのRitaさんで、初めてお話をすることができました。夜はスタジオとしていろんな人が利用しているということでした。お花の注文以外にもいろんな話しに花が咲き、最近のLA事情を聞く事ができました。
私がLAを出たころは確かSales Tax(消費税)が6.5%だったと思うんですが、なんと今は9.75%ですって。みんなどうやって生活しているんでしょう。(この会話を聞いていたBenが後でイギリスでは消費税はなんと20%だと言ってさらにビックリ!)私が昔住んでいたそのあたりの家賃も大幅に値上がりしているようで、私たちが住んでいたところはひと月の家賃が$850で 2 bedroom 1 bathroomだったのですが、hardwood floor でfrench windowsがあり、天井が高くいい感じのところだったんですが、彼女曰く今はおそらく月$2,000(¥164,000)は下らないだろうという話し。LAに戻りたくてもとても住めそうにありません。
英語文化というかアメリカの文化では、気軽に全くの他人ともsmall talkができるのが楽しいです。スーパーマーケットやレストラン、職場の取引先の人となど。ときどき仕事関係の人と日本でこれをやろうとすると失敗します。ほどほどの距離を保っておかないと、「このオバサン馴れ馴れしくなんだ」と思われます。
ともあれ、久しくLAに帰っていないので、最近長崎はとっても寒いし、暖かいカリフォルニアにこの1〜2年中にはバケーションで帰りたいなぁ〜と思っている今日この頃です。
Friday, January 28, 2011
新燃岳燃ゆる Shinmoedake Volcanic Eruption
宮崎県と鹿児島県の境にある新燃岳が噴火しています。地学が大好きな私はこの生きている惑星を感じさせる火山活動にとっても興味をもっています。
今朝Lucがbathroomの窓ががたがた揺れているので地震があったのか聞いたのです。全く別の世界に心があった私は???でしたが、ニュースによると噴火の時の空震は長崎まで届いたとあったので、きっとそれだったのでしょう。そういえばイタリアのMt. Etnaも燃えてます。
From Universe.com
Disclose. Tvよりの抜粋です。
Smoke billows from Shinmoedake, a mountain in the Kirishima volcanic range between Kagoshima and Miyazaki prefectures, in this photograph taken from a Mainichi helicopter on Jan. 27. (Mainichi)Residents temporarily evacuated their homes and transportation services were disrupted as smoke continued to billow from the erupting volcano Shinmoedake in the Kirishima range between Kagoshima and Miyazaki prefectures on Jan. 27.
Plumes of smoke rose 2,000 meters following an eruption on Jan. 26, figures from the Kagoshima Local Meteorological Observatory showed. By 9 a.m. the following morning the smoke had fallen to an altitude of 400 meters, but officials said a series of small eruptions were continuing, and called for caution.
"The volcanic activity has just started, so we can expect more periods of rest and activity. There's also a chance of a major eruption," an observatory representative said.
The eruptions prompted some residents in Miyazaki Prefecture to temporarily evacuate their homes, while three junior and elementary schools in Miyakonojo, Miyazaki Prefecture, delayed the start of classes by one to two hours.
In the Ojibaru district of Takaharu, a town in Miyazaki Prefecture located about 7 kilometers from the crater, 14 people voluntarily took shelter at a local health and welfare center in the predawn hours of Jan. 27. They returned to their homes later in the day.
The eruptions forced the cancellation of services on the JR Nippo Main Line between Tano and Kokubu stations, on the Nichinan Line between Aoshima and Shibushi stations, and on the whole Kitto Line. A section of the Miyazaki Expressway also remained closed off due to poor visibility.
Wednesday, January 26, 2011
Qwiki おもしろい!! wikiの画像版
アメリカのObama大統領のState of the Unionのスピーチを聞きながら,そしてあれこれやりながら今これを書いていますが、本当に彼のスピーチには珠玉のメッセージがいつもたくさんあって、みなさんに全部ご紹介できなくて残念です。まだスピーチの途中なので、実際のscriptでチェックしていませんが、例えば、
No matter who you are, no matter where you come from, each of us is part of something greater.
The reason we are here today is not whether we sit together today but we work together tomorrow.
(いろんな問題があるが)These challenges shouldn't discourage us. They should challenge us.
People came here to shape our own destiny. What would you change? Future is ours to win, not a gift, is an achievement.
Success is a hard work.
などなど。
ところで、今日のテーマは,Qwiki.com ( http://www.qwiki.com/ ). 昨日のCNNで紹介されたんですが、wikipediaの音声付きビジュアル版といった感じです。いままでwikiで文字で読んでいた情報を、写真画像を次々とポップアップし、音声で紹介するというサイトです。とはいえwikiとは別の人たちが作ったサイトです。 ただすごいのは情報源はwikiだけでなく、LinkedInの情報などともつながっていて人物検索ではその人のソーシャルネットワークの一端も知れる結構画期的なものでもあります。メルアドを登録すると毎日新情報を送ってくれます。音声はcomputer generatedという感じです。ちょっと無機質で、特に英語以外の固有名詞に関しては、英語の発音規則に従ってコンピュータが音声を作るので必ずしもその言語対応という訳ではありませんが、十分普通に聞けます。また、発音や情報が間違っていたら訂正するよう言うこともできます。ためしに、私が行っていた大学UCLAの情報を見てみると、http://www.qwiki.com/q/#!/University_of_California,_Los_Angeles
こんな感じです。
ENTER A TOPICというところにNagasakiとか、Leonard Da Vinciとかいろいろ入れてみてどんなものか試してみてください。(ちなみに時津町は出てきましたが、長与町は長与千種しか出てきませんでした。三菱もちょっと情報不足かな、という感じでした)字幕も出てきますし、ひとつひとつが短いので苦にならず読みの練習にもなりそうです。そこから青色でハイライトされた言葉をクリックすると関連事項や下項事項に行ってさらに情報検索ができるのでなかなか楽しいです。想像していない画像が出て来たりするのでそれも嬉しい。
Monday, January 24, 2011
Dance, dance, dance! ダンスの魅力
この1,2年アメリカのreality showであるSo You Think You Can Danceを見ていますが、ダンスのすばらしさを再認識しています。
ロスアンジェルスに住んでいたころは、全くリズム感もなく踊りもへたな私ですが、よくみんなと踊りに行っていました。LAでは週末は"Let's go out somewhere!"ということで、毎週話題のレストランに行ったり、ライブコンサートに行ったり、劇を見に行ったり、セイリングや乗馬、パーティと週末にやる事には事欠きません。ダンスにいくのもそのひとつで、私たちがよく行っていたのは、Wilshireの南にあるフランス系のavant gardeなディスコや、downtownのundergroundなところ、そしてHollywoodのsoul系やcontemporaryなところでした。ただ私は踊りに行くというよりは、行くところのthemeに合わせてふだんと違うファッションを思いっきり楽しみ、友達と楽しい時間を過ごすということが目的で、上手に踊ろうなどはあまり思ったこともありませんでした。(というか踊れない)
UCLA時代のあるときマレーシア人の友人が学校のダンスサークルの発表会に誘ってくれたことがありました。そのとき踊る彼を見て、その情熱、技術、そしてエンターテインメント性などに初めて感動を覚えました。その後キャンパスのカフェテリアで知り合ったUCLAの大学院に行っている2人の日本人女性、ひとりは北大の農学部出で、きのこの研究ばかりをしていたという人、もうひとりは大阪大学の社会学部を出た人、がダンスの勉強のために大学院に来ていてあらためてダンスって大学院の学科にもなるようにすごいんだと思いました。「科目は解剖学からあるのよ」って言ってましたが、ふたりとも「ダンスがやっぱり一番好き」ということで、本当にがんばっていました。ひとりの子のアパートには一面に鏡が貼ってあって常に自分の生活にダンスがあるという感じ。もうひとりの子は英語の論文が苦手だということで、一緒にお寿司屋さんでバイトしていたこともあって、論文作成の手伝いもしてあげました。
世界中に踊りは人類の歴史とともにありますが、人間は最終的には感情の動物で、ダンスは文字よりも、言葉よりも内なる心のささやきや叫びを表せる手段です。ただリズムに合わせてからだを揺することはできても、あのSo You Think You Can Danceの出場者のように、あれだけ精巧な技術をマスターする過酷な練習をし、情熱を持って表現するダンスは、何よりも雄弁で見る者に感動を与えます。
それとともに、あの番組はまだ世に出ていない人たちの登竜門のようなものですから、夢を持っている全ての人に感動を与えるのでしょう。Yes, if you believe in yourself and work very hard for your dream, you can achieve more than you have ever imagined!
Sunday, January 23, 2011
University Hospital Visit 長崎大学病院へ
小学生がクラス待ちの間、迷い猫がやって来ました。あまりにも「ニャーニャー」泣くので、おなかがすいたのかお母さんを探していたのか、それともこの日はとっても寒かったので「寒いよ〜」と言っていたのかな?クラスが終わった後も子猫ちゃんが気になってなかなかみんなお家へ帰りませんでした。でもその日の夜の中学生がなんとこの子猫が気に入って、お迎えのお母さんの同意を得てお家に連れて帰りました。子猫ちゃんも新しい家族と暖かいお家ができてよかった、よかった♥
ところで、火曜日は長崎大学病院へおじゃまし4月からの薬剤部でのクラスの打ち合わせがありました。久しぶりに大学病院を訪れましたが、新しい玄関ができており以前と違う雰囲気でした。またLawsonがあるあたりは交差点のようになっていて、吹き抜けで明るい光が降り注いで大変いい空間でした。びっくりしたのが、5分くらいそこに立っている間に、次々と生徒さんたちや生徒さんの親御さんたちに出会ったことです。あんなに大きな建物の中に何千人の人がいる中で、小さな英語教室に関係がある人たちにあの瞬間に会うなんて驚きです。医学部の生徒さんたちはそれぞれ救急部や泌尿器科、心臓内科などいろんなところで研修していたようです。
現在大学病院では「若手医師のためのプレゼンテーションスキル」というクラスを展開していますが、今度は薬剤部ということで、また全く別の内容になります。大学病院ということもあって、外国人の患者さんも来られることが多いことと思います。みなさん必ずしも英語が母国語ではないと思うので対応される薬剤部の方の苦労もあるかと思います。また、窓口での対応だけではなく、入院患者さんにも服薬指導などが必要で大変なお仕事だと再認識しました。こちらも気を引き締めて薬剤関係のことを勉強したいと思います。
Tuesday, January 18, 2011
Kids' New Year Party ★ 子供の新年会
土曜日は子供の新年会でした。
日頃違うクラスで勉強しているお友達ともゲームを通じてすぐに仲良くなり、みな
とても楽しい時間を過ごしていました。They listened so well!!
新しい年ということもあり干支にちなんだゲームも盛り上がりました。子供は「干支」と日本語で聞いても??といった感じなのでしょうが、ゲームの最後にはすっかり理解したようで驚きました!中にはAre you a rabbit? と聞いて私の年齢を計算する生徒もいましたよ(笑)
その後も先生が準備した楽しいゲームをどんどんクリアし、お待ちかねのケーキとホットチョコレート♪♪おかわりしてもいいと分かると突然Please! Please!とカップを右手に持ってルークのところへ行く生徒が続出!やっぱりみんなきちんと英語を話してお願いしてました。Good job☆
久しぶりに行った子供の新年パーティーでしたが、もう次回の予定を尋ねる生徒も^^
みんな大満足のパーティーだったのではないでしょうか?次回は毎年大人気のサマーキャンプが夏に計画されています。(n)
Golden Globe Award 2011 ゴールデングローブ賞
今年のGolden Globe Award(ハリウッド外国人記者クラブ主催)は、やはり去年暮れのTIME紙の「今年の顔」の表紙を飾ったMark Zuckerbergが始めたFacebookの話しを綴ったThe Social Networkが映画ドラマ部門の作品賞、監督賞、脚本賞、作曲賞に輝きました。早く見たいね。
Saturday, January 15, 2011
Chemistry and Photography, Chemistry and Paint 化学と写真、化学と絵の具
View from the Window at Le Gras. Due to the 8 hour exposure, sunlight illuminates the buildings on both sides. 1826
フランスのニエペによる8時間太陽光に露出してできた世界最初の写真といわれるもの
過去10年いろんな形で古写真の解説文の翻訳にかかわってきました。
古写真と呼ばれるものは幕末明治のもので、1848年に上野彦馬の父俊之丞が日本で初めての写真機を購入し、それは島津藩に売られるのですが、子の彦馬が後に長崎大学医学部の創始者となる(以下抜粋)『ポンペ・メーデルフォールトの塾「舎密試験所」で舎密学(化学)を学んだ。彦馬はポンペについて化学を勉強中、蘭書に写真術について解説した項を発見し、写真術を知らされ並々ならぬ興味を覚え、研究に着手した。熱意あふれる教育者であったポンペは、彦馬ら門下生の望みにこたえて一緒に湿板写真の研究を行ったと伝えられている。彦馬は、塾で知り合った伊勢藤堂藩の堀江欽次郎とともに共同研究を始め、苦難の末ついに湿板写真による撮影に成功した。弱冠二十歳の開眼であった。』(長崎大学薬学部「長崎薬学史の研究」より)
最初「舎密試験所」や「舎密学」など聞き慣れない言葉があり、何だろうと思っていたのですが、それが「化学」を意味する当時の言葉だとわかりました。漢字は意味があるので通常その意味を察しますが、この「舎密」という漢字がなぜ「化学」を意味するのかがピンとこなかったんですが、Lucとの会話より「シェミィ」という音はフランス語では「化学」という意味なので、その音を漢字で表したのではないかと思います。
英語で写真の現像をすることをdevelopと言いますが、この言葉の原義は「何かが生まれる、大きくなる」ということで、写真術に関する意味は to treat with chemicals so as to render the latent image visible(隠れているイメージが見えるように化学物質で処理する)ということになります。
実を言うと高校のときは形だけは写真部に属していました(幽霊部員)。最初に暗室で写真を現像するのを見た時に、いろんな薬品を使ってはじめて写したものが浮かび上がってくるのに不思議な感動を覚えたものです。
現像(げんぞう)とは、銀塩写真において、撮影された写真や映画のフィルムや印画紙を薬品で処理して映像(潜像)を出現させることをいうが、広義には定着までの工程を指す場合もある。
とwikiにあるように写真と化学は切り離せないものです。
そして、先日のあるクラスの読解にあったのが、ルネッサンス期の画家の絵の具と化学との関係。
この写真は昔ヨーロッパでウルトラマリンという群青色の絵の具を作るときに使われた lapis lazuliという鉱物です。(It's so beautiful!)
読解資料より抜粋
......During the Renaissance era, there was no clear distinction between the role of the "artist" and the "chemist." Thus, famous artists such as Leonardo da Vinci and Rubens were not only great painters; they also developed their own recipes of paint. However, this changed in the 18th century when the role of the "artist" was distinguished from that of the "chemist"-- it was only the chemist that developed new color formulas. One such color chemist was Diesbach, who, in the early 1700s, created Prussian blue, the first synthetic blue paint that could be used in place of ultramarine. Renaissance artist usually kept their color recipes as craft secrets, but chemists sold their colors to as many people as possible. It is from this point onward that color begins to saturate our daily life, with the "chemist" continuing to develop even more new colors, such as bright shades of yellows and greens.....
ルネサンス期には「芸術家」と「化学者」のはっきりした区別はなかった。従って、レオナルド・ダ・ビンチやルーベンスのような著名な芸術家は、卓越した画家であっただけではなく、自分独自の絵の具のレシピを作り上げていた。しかし、18世紀になると「画家」の役割と「化学者」の役割が分けられたときにそうではなくなった。つまり化学者のみが新しい色の調合を開発したのだ。そのような化学者のひとりがディースバッハで、1700年代初頭にウルトラマリンの代わりになる初めての合成の青、プルシアンブルーを作った。ルネッサンス時代の芸術家は色のレシピは秘密にしたが、化学者は自分たちが作った色をできるだけ多くの人に売った。この時点から、「化学者」が明るい黄色や緑などさらなる新しい色をどんどん開発し続け、われわれの日常に色があふれだした。
まわりを見渡すとお料理にしろ、陶芸にしろ気づいてみるとみんな「化学」しているんですね。
フランスのニエペによる8時間太陽光に露出してできた世界最初の写真といわれるもの
過去10年いろんな形で古写真の解説文の翻訳にかかわってきました。
古写真と呼ばれるものは幕末明治のもので、1848年に上野彦馬の父俊之丞が日本で初めての写真機を購入し、それは島津藩に売られるのですが、子の彦馬が後に長崎大学医学部の創始者となる(以下抜粋)『ポンペ・メーデルフォールトの塾「舎密試験所」で舎密学(化学)を学んだ。彦馬はポンペについて化学を勉強中、蘭書に写真術について解説した項を発見し、写真術を知らされ並々ならぬ興味を覚え、研究に着手した。熱意あふれる教育者であったポンペは、彦馬ら門下生の望みにこたえて一緒に湿板写真の研究を行ったと伝えられている。彦馬は、塾で知り合った伊勢藤堂藩の堀江欽次郎とともに共同研究を始め、苦難の末ついに湿板写真による撮影に成功した。弱冠二十歳の開眼であった。』(長崎大学薬学部「長崎薬学史の研究」より)
最初「舎密試験所」や「舎密学」など聞き慣れない言葉があり、何だろうと思っていたのですが、それが「化学」を意味する当時の言葉だとわかりました。漢字は意味があるので通常その意味を察しますが、この「舎密」という漢字がなぜ「化学」を意味するのかがピンとこなかったんですが、Lucとの会話より「シェミィ」という音はフランス語では「化学」という意味なので、その音を漢字で表したのではないかと思います。
英語で写真の現像をすることをdevelopと言いますが、この言葉の原義は「何かが生まれる、大きくなる」ということで、写真術に関する意味は to treat with chemicals so as to render the latent image visible(隠れているイメージが見えるように化学物質で処理する)ということになります。
実を言うと高校のときは形だけは写真部に属していました(幽霊部員)。最初に暗室で写真を現像するのを見た時に、いろんな薬品を使ってはじめて写したものが浮かび上がってくるのに不思議な感動を覚えたものです。
現像(げんぞう)とは、銀塩写真において、撮影された写真や映画のフィルムや印画紙を薬品で処理して映像(潜像)を出現させることをいうが、広義には定着までの工程を指す場合もある。
とwikiにあるように写真と化学は切り離せないものです。
そして、先日のあるクラスの読解にあったのが、ルネッサンス期の画家の絵の具と化学との関係。
この写真は昔ヨーロッパでウルトラマリンという群青色の絵の具を作るときに使われた lapis lazuliという鉱物です。(It's so beautiful!)
読解資料より抜粋
......During the Renaissance era, there was no clear distinction between the role of the "artist" and the "chemist." Thus, famous artists such as Leonardo da Vinci and Rubens were not only great painters; they also developed their own recipes of paint. However, this changed in the 18th century when the role of the "artist" was distinguished from that of the "chemist"-- it was only the chemist that developed new color formulas. One such color chemist was Diesbach, who, in the early 1700s, created Prussian blue, the first synthetic blue paint that could be used in place of ultramarine. Renaissance artist usually kept their color recipes as craft secrets, but chemists sold their colors to as many people as possible. It is from this point onward that color begins to saturate our daily life, with the "chemist" continuing to develop even more new colors, such as bright shades of yellows and greens.....
ルネサンス期には「芸術家」と「化学者」のはっきりした区別はなかった。従って、レオナルド・ダ・ビンチやルーベンスのような著名な芸術家は、卓越した画家であっただけではなく、自分独自の絵の具のレシピを作り上げていた。しかし、18世紀になると「画家」の役割と「化学者」の役割が分けられたときにそうではなくなった。つまり化学者のみが新しい色の調合を開発したのだ。そのような化学者のひとりがディースバッハで、1700年代初頭にウルトラマリンの代わりになる初めての合成の青、プルシアンブルーを作った。ルネッサンス時代の芸術家は色のレシピは秘密にしたが、化学者は自分たちが作った色をできるだけ多くの人に売った。この時点から、「化学者」が明るい黄色や緑などさらなる新しい色をどんどん開発し続け、われわれの日常に色があふれだした。
まわりを見渡すとお料理にしろ、陶芸にしろ気づいてみるとみんな「化学」しているんですね。
Monday, January 10, 2011
Fun, fun, fun!! Estaminet New Year Party -エスタミネー英語教室新年会♥
昨日はエスタミネー英語教室の新年会でした。
歴史をさかのぼると、エスタミネーの最初の新年会は長与の「つどいの家」で行われました。そのときはすごい人数の人が来られて、昼の2時くらいから夜の(朝の)2時くらいまでやったと思います。その後は、私たちの自宅、そしてZenzeroができてからはず〜っとZenzeroで新年会をはじめ様々なイベントをやってきました。
今回は初めての居酒屋での新年会。スタッフの準備のおかげで大変楽しい会になりました。個人レッスンを受講されていて、通常他の生徒さんとの交流がない生徒さんたちも多く来ていただき新たに友人を作っておられたみたいです。
結構飲める方が多くて、私のまわりにいた女性たちはほとんど「底なし」だったので、「え〜っ!あなたも!」と全く飲めない私はひたすらうらやましい限りでした。
テーブル別クイズも熾烈な戦いが続き、ほぼ互角。でも、授業では知り得なかったみなさんの英語力や、その他の知識をかいま見て大変おもしろかったです。
"Who am I?"クイズでも各テーブル盛り上がり、あらためてyes/no questionsの重要性を認識したことと思います。
何人かの生徒さんから早速「次のパーティはいつですか?」のご質問。次は夏です。また多いに盛り上がりましょう!
Thank you very much everyone!
Saturday, January 8, 2011
Estaminet New Year Party -エスタミネー英語教室新年会♥
魚店亜紗 (うおだなあさ)
〒850-0057 長崎県長崎市大黒町10−2 フィールド大黒町ビル 1F
1月9日(日)午後7時
さて今年の新年会はZenzroが閉まったこともあり、初めて長与を出て上記の居酒屋で開催します。居酒屋ということと、来週がセンター試験、今週来週は実力テストがあるということで、高校生は3月頃何かやる予定です。
実を言うとこの場所は去年の暮れにスタッフで忘年会をやったところです。食べ物もおいしく、スタッフさんの対応も良く、場所もわかりやすく、それになんとビルのオーナーは元生徒さんということで、生徒さんとの新年会の場所として即決まりました。
それではSee you there! (Please make sure to call us if you haven't made a reservation!必ず予約が必要なので、参加したい方でエスタミネーのオフィスに連絡していない方は必ずお電話を!)
Sunday, January 2, 2011
Happy New Year!!
It was wonderful to welcome the new year in the snow. Hope everyone has a great new year!
みなさん良いお正月を迎えられていることと思います。我が家は山の中にあるので、すっぽり雪につつまれてしまいましたが、この静けさとまぶしさ何か素敵です。
昨日車にはチェーンを付け、ふもとに車を移動し、元旦の家族集合に行けるように準備万端にしておきました。でも、雪道はふもとまでだけで、下の道路は全く普通に走れたので、近くのコンビニでチェーンをはずし無事大橋の家族のもとへ。
母が年老いてきて我が実家では去年からおせちをやめ、めいめいが割り当てられたもの持って行くようにしました。今年の我が家の担当は肉料理とサラダ。もちろん私がサラダ担当で、Lucがお肉。ポークのイチジクソースでとってもおいしくできました。
それで思い出しましたが、今年のエスタミネー英語教室のパーティは、ゼンゼロが閉まったため場所を変えて行います。Lucの手料理が食べられないのは残念ですが、やっと彼も料理から解放されみなさんとゆっくり話しができると思います。
パーティは1月9日(日曜)ーあらためて詳しい情報をお伝えしますね。
それから、1月のクラスは1月6日(木)からです。
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