Saturday, January 15, 2011

Chemistry and Photography, Chemistry and Paint 化学と写真、化学と絵の具

View from the Window at Le Gras. Due to the 8 hour exposure, sunlight illuminates the buildings on both sides. 1826
フランスのニエペによる8時間太陽光に露出してできた世界最初の写真といわれるもの


過去10年いろんな形で古写真の解説文の翻訳にかかわってきました。

古写真と呼ばれるものは幕末明治のもので、1848年に上野彦馬の父俊之丞が日本で初めての写真機を購入し、それは島津藩に売られるのですが、子の彦馬が後に長崎大学医学部の創始者となる(以下抜粋)『ポンペ・メーデルフォールトの塾「舎密試験所」で舎密学(化学)を学んだ。彦馬はポンペについて化学を勉強中、蘭書に写真術について解説した項を発見し、写真術を知らされ並々ならぬ興味を覚え、研究に着手した。熱意あふれる教育者であったポンペは、彦馬ら門下生の望みにこたえて一緒に湿板写真の研究を行ったと伝えられている。彦馬は、塾で知り合った伊勢藤堂藩の堀江欽次郎とともに共同研究を始め、苦難の末ついに湿板写真による撮影に成功した。弱冠二十歳の開眼であった。』(長崎大学薬学部「長崎薬学史の研究」より) 




最初「舎密試験所」や「舎密学」など聞き慣れない言葉があり、何だろうと思っていたのですが、それが「化学」を意味する当時の言葉だとわかりました。漢字は意味があるので通常その意味を察しますが、この「舎密」という漢字がなぜ「化学」を意味するのかがピンとこなかったんですが、Lucとの会話より「シェミィ」という音はフランス語では「化学」という意味なので、その音を漢字で表したのではないかと思います。


英語で写真の現像をすることをdevelopと言いますが、この言葉の原義は「何かが生まれる、大きくなる」ということで、写真術に関する意味は to treat with chemicals so as to render the latent image visible(隠れているイメージが見えるように化学物質で処理する)ということになります。


実を言うと高校のときは形だけは写真部に属していました(幽霊部員)。最初に暗室で写真を現像するのを見た時に、いろんな薬品を使ってはじめて写したものが浮かび上がってくるのに不思議な感動を覚えたものです。


現像(げんぞう)とは、銀塩写真において、撮影された写真映画フィルムや印画紙を薬品で処理して映像潜像)を出現させることをいうが、広義には定着までの工程を指す場合もある。


とwikiにあるように写真と化学は切り離せないものです。




そして、先日のあるクラスの読解にあったのが、ルネッサンス期の画家の絵の具と化学との関係。
この写真は昔ヨーロッパでウルトラマリンという群青色の絵の具を作るときに使われた lapis lazuliという鉱物です。(It's so beautiful!)


読解資料より抜粋

......During the Renaissance era, there was no clear distinction between the role of the "artist" and the "chemist."  Thus, famous artists such as Leonardo da Vinci and Rubens were not only great painters; they also developed their own recipes of paint.  However, this changed in the 18th century when the role of the "artist" was distinguished from that of the "chemist"-- it was only the  chemist that developed new color formulas.  One such color chemist was Diesbach, who, in the early 1700s, created Prussian blue, the first synthetic blue paint that could be used in place of ultramarine.  Renaissance artist usually kept their color recipes as craft secrets, but chemists sold their colors to as many people as possible.  It is from this point onward that color begins to saturate our daily life, with the "chemist" continuing to develop even more new colors, such as bright shades of yellows and greens.....

ルネサンス期には「芸術家」と「化学者」のはっきりした区別はなかった。従って、レオナルド・ダ・ビンチやルーベンスのような著名な芸術家は、卓越した画家であっただけではなく、自分独自の絵の具のレシピを作り上げていた。しかし、18世紀になると「画家」の役割と「化学者」の役割が分けられたときにそうではなくなった。つまり化学者のみが新しい色の調合を開発したのだ。そのような化学者のひとりがディースバッハで、1700年代初頭にウルトラマリンの代わりになる初めての合成の青、プルシアンブルーを作った。ルネッサンス時代の芸術家は色のレシピは秘密にしたが、化学者は自分たちが作った色をできるだけ多くの人に売った。この時点から、「化学者」が明るい黄色や緑などさらなる新しい色をどんどん開発し続け、われわれの日常に色があふれだした。

まわりを見渡すとお料理にしろ、陶芸にしろ気づいてみるとみんな「化学」しているんですね。